科学への信頼は、本当に低下しているのか

科学への信頼が失われている。最近、そんな言葉を目にする機会が増えました。ワクチンや気候変動をめぐる議論、SNSに広がる誤情報、科学研究への政治的介入を見ると、たしかに科学不信が社会全体に広がっているようにも感じられます。

ところが、Natureの記事が紹介する調査結果は、もう少し複雑な姿を示しています。68カ国、約7万2000人を対象にした調査では、科学者への信頼は5点満点で平均3.6でした。別の国際調査でも、科学者は医師や教師と並んで、比較的信頼される職業に位置しています。世界全体を見れば、科学や科学者への信頼が崩壊しているとは言いにくいようです。

それでも、科学への信頼が危機にあるという感覚がなくならないのはなぜでしょうか。

低下しているのは、社会全体の平均値ではない

記事から見えてくるのは、信頼が社会全体で一様に下がっているのではなく、立場による差が広がっているという構図です。

米国では、科学者が公共の利益のために行動すると信じる人の割合が低下しています。ただし、その変化は全員に同じように起きているわけではありません。民主党支持層では科学者への信頼が高い水準で維持される一方、共和党支持層では大きく下がっています。

英国でも、科学を「ある程度信頼する」人は多いままですが、「強く信頼する」人の割合は減少しています。信頼が消えたというより、強い支持が弱まり、集団による濃淡が大きくなっていると見る方が近いのでしょう。

平均値だけを見れば、科学への信頼はまだ高い。けれども、その内側では政治的立場や価値観に沿った差が広がっている。科学不信の問題は、信頼の総量よりも、その偏りに移りつつあるのかもしれません。

拒まれているのは、科学ではなくその先の政策かもしれない

もう一つ興味深いのは、人々が科学的知見そのものではなく、そこから導かれる政策や規制に反発している可能性です。

感染症対策、ワクチン接種、気候変動対策では、科学的知見が行動制限や規制、税負担などにつながることがあります。その政策を受け入れたくない人にとっては、政策の根拠となる科学まで否定する方が都合がよい。科学への不信に見えるものが、実際には政府や制度への不信、あるいは政治的価値観との衝突である場合もあります。

記事では、米国における科学への信頼低下は、警察、企業、政府など他の制度への信頼低下と並行していると指摘されています。科学だけが特別に信頼を失っているのではなく、社会を支える制度全体への信頼が揺らぎ、その一部として科学も巻き込まれているのです。

この構図を「科学者が正しい情報を分かりやすく伝えれば解決する」と考えるのは、少し単純すぎるでしょう。事実を説明することは必要です。しかし、制度そのものを信頼していない人に、より多くのデータを示すだけで態度が変わるとは限りません。

科学への信頼は、本当に低下しているのか。おそらく、答えは一つではありません。世界全体では比較的高い水準にありながら、特定の集団では明確に弱まり、政治的立場による差が広がっている。そして、その背景には科学だけではなく、政策、制度、社会への信頼があります。

科学を社会に生かすために必要なのは、科学への信頼を一つの数字として回復させることではなく、どこで、誰との間に、なぜ信頼の差が生まれているのかを見ることなのかもしれません。

今回参考にした記事はこちらです。
https://www.nature.com/articles/d41586-026-01977-9